こんにちは、youheiです。
俳優の松方弘樹(本名・目黒浩樹)が1月21日に脳リンパ腫で亡くなりました。
74歳でした。
(※ちなみにこの日は梶原一騎の没後30年でした)
一番最初の妻は元ファッションモデル目黒夏子という人です。
ある雑誌で松方弘樹との対談をした時に書かれていた年齢が31歳とありました。
雑誌の発行年が1975年だったので1943〜44生まれと推定できます。
気になったので、どんな人なのかを調べてみました。
松方弘樹の元妻・目黒夏子と家族とは
松方弘樹と目黒夏子は1968年(昭和43年)に結婚し、1978年(昭和53年)に離婚。
(目黒姓を名乗っていますが、旧姓がどんな名前なのかまでは判明していません。)
松方弘樹と目黒夏子の間には三人の子どもがいて
※親権は松方弘樹。現在は俳優として活動。(のちに一般人)
長女
次女
がいます。
参考までに書いておくと、松方弘樹には6人子供がいます。
仁科亜季子(二番目の妻)=次男,三女
千葉マリア=三男(千葉マリアにとっては次男)
山本万里子=なし
目黒大樹は今
長男の大樹(だいじゅ)は1973年4月20日生まれ。
先にも書いたように現在俳優として活動し、映画「首領になった男」(1991年)では父親の松方弘樹と共演をしています。
Wikipediaでフィルモグラフィーを見た限りでは松方弘樹同様にやくざ映画がメインですね。
どちらかというとVシネマが中心です。
週刊新潮の記事によると、現在は俳優業を引退して一般人になっているという情報でした。
目黒夏子と子供は今
では目黒夏子の現在はどうなのか?
調べたものの経歴が元ファッションモデルで祇園で舞妓をしていたという情報しか得られませんでした。
また、長女と次女については情報が得られませんでした。
長女と次女の情報がないということは芸能関係の仕事には就いてないものと予想されます。
というのも、芸能関係であれば何らかのかたちでメディアに露出すると考えられるからです。
松方弘樹のおもしろエピソード
まず松方弘樹の好きな作品としては「仁義なき戦い」シリーズ、「県警対組織暴力」(1975年)、「野性の証明」(1978年)などあります。
面白い話として映画「野性の証明」で松方弘樹はラストシーンで高倉健と銃撃戦を繰り広げたシーンがありました。
ヘリから機関銃で高倉健を襲撃していた時、あまりの高度の高さにもらしてしまったという逸話があります。
このエピソードは「たけし&所のドラキュラが狙ってる」のドラキュラ裁判の中でも出てきました。
松方弘樹と言えば!遠山の金さん
他には時代劇作品にも多数出演していて、立ち回りの上手さには定評がありました。
代表作品としては「遠山の金さん」が挙げられます。
(一般的に金さんは遠山金四郎として有名ですが、本名は遠山左衛門尉景元[さえもんのじょうかげもと])
この点は父親譲りだったのでしょうか。
ちなみに松方弘樹の父親は名優として名高い近衛十四郎という役者でした。
過去に日本映画専門チャンネルで勝新太郎の主演映画「座頭市 血煙り街道」(1967年)を視聴したのですが、たしかに親子だけあって顔がそっくりだった感じました。
(個人的には「座頭市」シリーズでは「座頭市と用心棒」が特に面白かったです。)
まとめ
高倉健、菅原文太に続いてまた映画界のスターを失いました。
いろいろな映画やドラマ、バラエティ番組に出演し、存在感ある俳優だったと思います。
特にバラエティ番組に進出した「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」は有名です。
まさかあのコワモテ俳優がバラエティ番組に出るとは思わなかったという感想を抱いた人も多かったのではないでしょうか?
どうしてもヤクザ役のイメージがつきまとうのですが…迫力から言えば、やはり菅原文太がすごかったですけどね。
近年ではダウンタウンの番組でも梅宮辰夫と出演したりと俳優以外の側面が見られたりと人間性の幅を感じました。
思えば、「仁義なき戦い」シリーズに出演していた俳優・スタッフもかなり存命者が少なくなりました。
深作欣二監督・飯干晃一原作・笠原和夫脚本・津島利章音楽と主要スタッフの大半がもういません。
出演者では菅原文太・成田三樹夫・金子信雄・山城新伍・川谷拓三・小池朝雄・室田日出男…
今頃は映画談義に花を咲かせているのかもしれません。