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渡瀬恒彦は元電通の社員!銀幕に生きた72年の人生

クール

こんにちは、youheiです。

俳優の渡瀬恒彦(72)が3月14日に多臓器不全で亡くなったという訃報を知って驚きました。

渡瀬恒彦の兄が渡哲也という話はあまりに有名な話ですが、まさか兄の渡哲也より先に旅立ってしまうなんて。

1月には数多くの作品で共演していた松方弘樹が亡くなったばかりで、関係者の驚きも相当なものだと推察します。

兄・渡哲也とともに生きた役者人生

多くの人生を俳優として生きた渡瀬恒彦ですが、実は芸能界に関して関心がなかったという話です。

早稲田大学に在学(卒業していない)したのち電通PRセンター(*)に入社するエリートだったのです。

当時東映の社長だった岡田茂の熱烈な誘いによって芸能界入りに至ったのです。

この話にはちょっとしたエピソードが隠されています。

会社の上司に相談したら、これまた当時三越の社長で名前が全く同じ岡田茂と勘違いされたとのことです。

つまり「三越の岡田茂から話があると言われているなら会いに行ってこい」というわけで了承されたのですね。

(*)電通PRセンターは現在電通パブリックリレーションズ

(略して電通PR)と社名を変更しています。
戦略十訓と呼ばれる社内規則があります。

詳しくはこちらに書かれています。
出典; 電通

渡瀬作品の個人的な思い出

個人的には、渡瀬恒彦より兄の渡哲也の方がテレビでよく観ていたので、あまり詳しいわけではありません。

フィルモグラフィーを見るとやくざ映画が中心の俳優人生だったように思います。

映画「新仁義なき戦い 」(1974年)では菅原文太の舎弟・北見登を好演。

凄みのある目つきが貫禄十分でした。

映画「戦国自衛隊」(1979年)での矢野は初めて観た時に言葉では言えないような凄みを感じたのを覚えています。

映画「影の軍団 服部半蔵」(1980年)では服部半蔵が実は上半蔵と下半蔵の二人の服部半蔵がいたという大胆な設定で作られた作品で、アクションシーンもフットボールのタックルを思わせるような斬新な手法が使われていました。

他に観た作品では「狂った野獣」(1976年)大型バスを運転するシーンでは、渡瀬恒彦本人が運転しています。

この映画の撮影のために大型免許を取得したという逸話があります。

「震える舌」「化石の荒野」などあります。

テレビ作品では「十津川警部」シリーズや「おみやさん」「警視庁捜査一課9係」といった刑事ドラマのほか「タクシードライバーの推理日誌」などあります。

1980年の「大激闘マッドポリス’80」はぜひ観てもらいたい作品ですね。

兄の渡哲也が大都会シリーズに出演していたからそれに対抗するために製作されたように思えます。

残念なことに短命に終わってしまったのが惜しいのですが。

渡瀬恒彦が出演した傑作CM

これを観た当時はマネをしていた記憶があります。
コワモテな印象が強い渡瀬恒彦がこんなコミカルなこともするんだな、
と意外に感じたのです。
ツムラバスクリンCM
https://www.youtube.com/watch?v=o5J1zk25NaA

まとめ

先日、渡瀬恒彦が出演した作品に「実録 私設銀座警察」という映画があるのを発見しました。

兄の渡哲也が「仁義の墓場」で演じた主人公と対をなすほどに破天荒な男です。

今のところどちらの作品も未見ですが、歳を取ってからの渡哲也や渡瀬恒彦しか知らない人が見たら確実にブッ飛んでしまうほどのいわくつき映画なのです。