こんにちは、youheiです。
梅宮辰夫といえば「仁義なき戦い」シリーズかもしれませんが、実はその前には「不良番長」シリーズという作品に出演していました。
「不良番長」シリーズは未見なのでどんな作品か分かりませんが…。
個人的には「野性の証明」(1978年)で東北なまりでクンロクを入れるやくざ役が面白かったです。
そもそもこの映画も出演者だけみたら何のやくざ映画か?と思えるほどおなじみの顔ぶれだったのが印象的でした。
他に「資金源強奪」(1975年)での不良刑事役も良かったです。
演じる役柄がだいたい似たりよったりですが、「県警対組織暴力」(1975年)では何ともマジメな刑事(しかも警部補)を演じていたのが異色でした。
テレビドラマで「大激闘マッドポリス’80」(1980年)という作品があったのですが、キャストだけみたらやくざ映画の面々という変わったドラマでした。
フィルモグラフィーを見ると菅原文太・松方弘樹・山城新伍と組むことがもっとも多く、その他だと千葉真一や渡瀬恒彦らが続きます。
実は梅宮辰夫もバツイチだった
梅宮辰夫の奥さんといえば、梅宮アンナの母親であるクラウディアを連想するかと思います。
ところが、クラウディアとは再婚で、実はその前に別の女性と結婚していたのでした。
松方弘樹とはバツイチという共通点もあったんですね。
1968年(昭和43年)、3年間同棲し既に妊娠4ヶ月だった若井常代と一方的に婚約を解消。
同年12月に結婚した最初の妻は、銀座のクラブ「姫」のホステス・大門節子(大門節江)だが、半年で離婚。
大門との結婚中に知り合った銀座のクラブで働いていた愛称”ビッキー”こと米国籍のクラウディア・ビクトリア・ルールダウ(梅宮クラウディア)と、1972年にスポーツニッポンに結婚とすっぱ抜かれ、同年3月に結婚した。レコードを出したこともある大門は、広島市大洲(現在の南区)の出身。梅宮と離婚後、沢村忠と婚約したが結婚はしなかった。
その後、広島に帰郷しお店を経営していたが、四国の一般人と再婚したという話。
このあたりは山口洋子の著書『ザ・ラスト・ワルツ- 「姫」という酒場』に少し書かれている。
当時クラウディアは妊娠4ヶ月でお腹の大きな写真がスポーツニッポンに載った。
クラウディアは梅宮顔負けの日本人の遊び人と1968年に結婚し、男子をもうけていて、夫婦仲が上手くいかずホステスをしているときに梅宮と知り合った。
クラウディアの夫と梅宮との間でゴタゴタがあったが、結局手切れ金を渡しクラウディアと別れさせた。
(「げいのう 『涙にゃ弱い遊び人』」「サンデー毎日」1972年3月19日号 43頁)
梅宮・松方コンビはバラエティ番組でも引っ張りだこだった
さて、梅宮辰夫と松方弘樹の関係ですが。
どちらもある意味で英雄ともいうべき存在で、公私ともに親しい間柄でした。
そして松方弘樹同様にバラエティ番組への露出度も高く、一緒にゲストで出てきたりと楽しませてくれました。
ダウンタウンの番組でもよくゲスト出演しているのでおなじみでしょう。
特に年末恒例の「絶対に笑ってはいけない」シリーズではファミリーで総出演したりもしました。
役者一本でやってきた人でバラエティにも対応できる人はなかなかいないと思います。
ロバート秋山のTシャツ芸に梅宮辰夫の顔写真が利用されてもポジティブに受け止めており、ロバート秋山に発破をかけるほどです。
松方弘樹の記事はこちらです。
梅宮辰夫は料理上手という一面も
また梅宮辰夫というと、芸能界でも有名な料理上手です。
そのきっかけは梅宮辰夫がドラマ「前略おふくろ様」に出演した時に板前役を演じたのがきっかけだと言われています。
同じく小松政夫も出演していたのですが、出演者の中では小松政夫が一番上手だったとのことです。
梅宮辰夫の作った料理は、わりと味付けが濃い目で、小松政夫の場合はうす口ながらしっかりとした味付けだったそうです。
※この話については萩原健一著「ショーケン」に書かれていました。
まとめ
梅宮辰夫は高倉健を慕っていた役者の一人でした。
ほかに千葉真一・山本麟一・山城新伍と「野郎会」というグループを結成していました。
男たちの野郎と、何でもやろうのやろうを合わせて「野郎会」と名付けられました。
2017年1月になくなった松方弘樹のお別れ会が6月6日に行われました。
梅宮辰夫がお別れ会発起人として開催されましたが、かつての映画仲間も千葉真一や田中邦衛、志賀勝、片桐竜次、福本清三ぐらいしか生き残りがいないように思えます。
※追記(2019.12.12)
2019年も終わりに近づいてきた中、12月12日朝に訃報を知りました。
映画やドラマだけでなく、バラエティ番組でも個性的なキャラを発揮していたのですが残念に思います。
やっぱり向こうで再会した松方弘樹と釣りをしたり映画の話でもしているのでしょうね。