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ドリフターズ・高木ブーの知られざる世界

ドリフターズ

こんにちは、youheiです。

今回のネタはドリフターズでおなじみの高木ブーを取り上げました。

ドリフターズのメンバーにおいてはリーダーのいかりや長介に次ぐ年長者として知られます。

サブリーダーあるいはナンバー2としてグループを取り仕切る立場だと思うのだが…

しかし高木ブーの事を知っている人なら誰しも「そんな風には見られてない」と分かっているはず…

高木ブーの名前の由来とは?

まずは高木ブーの本名についてですが、「高木友之助」と言います。

普通といえば普通な名前ですね。

さて本題。高木ブーという芸名の由来はなんだろう?と幼少から疑問に思っていました。

さすがに本名とは思わなかったですけど(笑

実は高木ブーという芸名の前に高木智之と名乗っていた時期がありました。

なぜ高木智之が高木ブーになったのか?

Wikipediaを調べたら名前の由来を見つけたので掲載しておきます。

『高木ブー』という名前は、渡辺プロの先輩である
「クレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇が、「お前は太っているからブーでいいや」
という一言で、本名の「高木」に「ブー」を組み合わせて付けられた。
しかしいかりや説によれば、「ブーたん」と言うあだ名から、ハナ肇より「たんを取れ」
と言われブーになりました。
加藤茶は「高木は見た目でブーなんだけど、ハナさんが『ブタ小屋はきれいに洗わないと』なんて」

と、経緯を語っています。

このように諸説ありますが、いずれにしてもあまり嬉しくない名前のつけ方ですな。

高木ブー本人も、渡辺プロの先輩が付けてくれた芸名なので嫌とは言えなかったようです。

高木ブーの芸風について

番組内のコントでも加藤茶や志村けんのように定番ギャグがあるわけでもないです。

一発芸的に何かをやらかすといった芸風というべきです。

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「ドリフ大爆笑」においては「雷様コント」がもっとも有名だったのではないでしょうか?

新聞の番組欄にも「ブーの雷様」と書かれていました。

雷様コントの初期は3人で何かコントをしていたような気が。

いつの間にか誰かゲストに呼んでのトークショー形式に変わりました。

いかりや長介と仲本工事もあまり口をはさむこともなくて高木ブーの独壇場と化したのである。

他のコーナーでは出番もセリフも少ないから、ここぞとばかりにしゃべりまくる(笑

雷様コントのあとに、新コーナーともいうべきハリキリじいさん3人衆のコントが登場しました。
https://www.youtube.com/watch?v=q3G6aC—F4
ひときわハリキっていたのをご存知の方も多いでしょう。

内容的には雷様に比べると変化に富んでいて良かったかもしれません。

しかし決定打に欠けていたように思えるのですが…。

新コーナー登場に燃えていたのだろうが空振りに終わったようです。

俺の1円コントでは、サラリーマン風の男がひたすら1円玉を探すというある種の狂気を感じさせる男を演じていました。

高木ブーはウクレレをいつからやるように?

テレビでドリフのコントを見ていたら、いつの間にか高木ブーがウクレレを弾くようになりました。

いつからウクレレを弾くようになったのか調べてみたら、1948年に高木ブーの3番目の兄からウクレレをプレゼントされたのがきっかけとのことです。

てっきり歳を重ねてから始めたとばかり考えていたから意外でした。

高木ブーがウクレレと出会うきっかけになった記事がこちらにあります。

高木ブー「僕にウクレレの魅力を教えてくれた人たち」【第10回 ウクレレとの出合い】 (1/1)| 介護ポストセブン
いわば人生のパートナーである。15歳の時のウクレレとの出合いがなかったら、ザ・ドリフターズのメンバーになることもなく、現在のミュージシャンとしての活躍もなかった。どんな...

まとめ

高木ブーといえばウクレレ、というイメージが定着してきているように感じます。

さきほども書いたように、ウクレレとの出会いが戦後まもなくだったのは意外でした。

この特技を生かして教養番組で講座を受け持ったり、いろんなミュージシャンとの共演もしたりと活躍ぶりはご覧のとおり。

ドリフターズのメンバーとしてさまざまなコントをやってきただけでなく、いちミュージシャンとしても優れた才能を持つ人だということが分かりました。