こんにちは、youheiです。
今回は渡哲也について取り上げていきます。
渡哲也といえば、世代によって連想するイメージは異なるかと思いますが、やはり「西部警察」の大門軍団団長・大門圭介部長刑事が真っ先に思い浮かんできます。
個人的に「西部警察」の角刈り頭にレイバンのサングラス姿が印象的です。
実はあのキャラクターには、プロトタイプが存在することをご存知でしたか?
それは後ほど触れることにして、まずは渡哲也の現在と石原プロ解散危機についてみていきましょう。
渡哲也の現在は
2011年に石原プロの社長を辞任後、メディアへの露出も減ってきました。
2015年に心筋梗塞をわずらってから重病説がささやかれたりとファンも気にしています。
2018年7月17日に横浜市総持寺で行われた石原裕次郎の三十二回忌法要では出席していませんでした。
舘ひろしはインタビューで「渡はリハビリに取り組んでいる」と語っていました。
※追記(2020.8.14)
2020年8月14日に渡哲也が8月10日に肺炎で逝去したと石原プロモーションより発表がありました。
突然の訃報で驚きましたが、かねてより体調不良が報道されていたので気がかりでした。
石原プロが解散の危機!?
現在石原プロが解散の危機に直面しているという話です。
石原プロの元常務だった仲川幸夫氏が石原プロから解雇通告を受けていたのです。
渡哲也と石原まき子夫人は石原プロ解散の意向を示しているのに対して、仲川氏は反対を唱えていました。
これによって渡哲也・石原まき子夫人との間で意見が対立して結果として仲川氏が石原プロから解雇を言い渡されました。
石原プロの存続については1990年代から生じていたふしがあります。
石原プロ元常務取締役だった石野憲助氏は1990年ごろに石原プロの方向性に疑問を持ち、その他有志と石原プロを退社していたのです。
1990年代といえば大規模アクションドラマというと「ゴリラ・警視庁捜査第8班」くらいしかないですが…。
1990年に舘ひろし主演「代表取締役刑事」で今までのアクション主体から大きくシフトチェンジしたことが原因なのかも?
2019年4月に入ってからも石原プロ解散の話が浮上しましたが、事務所サイドは完全否定しているので解散はありえないと言えます。
かねてより石原プロモーション解散の噂がありましたが、2021年1月16日をもって石原プロモーションを解散する旨が発表されました。
大門の原型は黒岩ではなかった!?
冒頭で書いたように、渡哲也についてあまり知らない人もいるかと思います。
大して詳しくないですが、個人的に渡哲也に関する思いを交えながらどんな俳優なのか?について書いていきます。
まず渡哲也というと西部警察のイメージが強いかと思います。
大門団長の原型は「大都会」シリーズの黒岩頼介部長刑事かと思い込んでいました。
調べていくうちにある映画に突き当たりました。
「ザ・ゴキブリ」と「ゴキブリ刑事」さらに「やくざの墓場 くちなしの花」が源流だったのです。
では順番に見ていきましょう。
「ゴキブリ刑事」と「ザ・ゴキブリ」
1973年に東宝で製作された作品。
役名こそ鳴神涼ですが、外見は黒岩&大門刑事にそっくり!
あえて相違点を挙げるなら、もみあげが長いところでしょうか。
この鳴神涼の経歴がスサマジイのです。
署長表彰15回、警視総監賞4回、停職3回、減給6回、戒告9回、訓戒25回という、違う意味ですごい。
性格は黒岩刑事よりアウトロー全開のはみだし刑事を熱演していました。
大門刑事が大人しく見えてしまいます。
出演者の中にベンケイこと苅谷俊介が名を連ねています。
次は第二作目の「ザ・ゴキブリ」。
ストーリー終盤では競輪場内で峰岸徹(当時は峰岸隆之介)との対決シーンが出てきます。
おそらく三重県四日市市にある四日市コンビナート近くの競輪場ではないでしょうか。
過去に四日市コンビナートで見かけた競輪場に似ていたからです。
出演者の中にはマルさん(高品格)とベンケイ(苅谷俊介)が混じっています(笑)
大都会PARTⅡを知っている人なら分かるでしょう。
ベンケイは二作通じての共演となっています。
「やくざの墓場くちなしの花」
1976年に東映で製作された作品。
1975年の「県警対組織暴力」同様に、やくざと癒着するアウトロー刑事が主人公という作品です。
この映画で役名が黒岩竜でした。
名前だけだと「大都会」シリーズの黒岩頼介の原型はこの映画でしょう。
何といっても当時ノリにノッていた深作欣二監督とのコンビ作というのが大きいです。
感想としては「県警対組織暴力」のインパクトが強いためにどうしても低く評価せざるを得ないんです。
(全然関係ないですが、黒岩が自室アパートでレコードを聴いているくだりでDEEP PURPLEの「LIVE IN JAPAN」と思しきレコードがあるのを発見。)
深作監督とは1975年に「仁義の墓場」でも組んでいました。
本来なら「県警対組織暴力」でも菅原文太と共演する予定でした。
ところが渡哲也の病気によって共演の話が流れてしまいました。
(西部警察の中で、県警対組織暴力ぽい取り調べシーンがあったのを思い出しました。)
その復帰作として「やくざの墓場 くちなしの花」が製作されたのです。
個人的に菅原文太と渡哲也の共演は観てみたかったですが。
(渡哲也の代役に松方弘樹が起用されたのです)
渡哲也は過去に何度も映画出演の機会がありました。
諸事情によってほとんどが実現せず、石原プロ再建のためにテレビドラマ主体になってしまいました。
渡哲也・流れた映画出演の話
ボツになった映画の作品を観ると、実にもったいない話ばかりで残念でなりません。
以下はそのボツになった映画のリストなんですが、
「大脱獄」(1975年)国岩邦造役 渡哲也→菅原文太 (文太の役を小池朝雄)
「人間の証明」(1977年) 棟居刑事役 渡哲也→松田優作
「仁義なき戦い」(1973年)広能昌三役 渡哲也→菅原文太(文太の役を松方弘樹)
「野性の証明」(1978年)皆川二佐役 渡哲也→松方弘樹
「皇帝のいない八月」(1978年)藤崎顕正役 渡哲也→渡瀬恒彦
「白昼の死角」(1979年)鶴岡七郎役 渡哲也→夏八木勲
出典; [中止]幻の邦画について語れ!→[弐][降板]
興味深いことに、最初「仁義なき戦い」は渡哲也主演で企画されていたことです。
「野性の証明」で松方弘樹が演じた皆川二佐役を渡哲也が演じる予定だったのもそうです。
余談ながら「西部警察PARTⅢスペシャル 燃える勇者たち」(1984年1月1日放送,第33〜34話の間に)の中で冒頭に特殊訓練シーンがあります。
これは野性の証明の冒頭シーンを意識したのではないか、と推測します。
前述の「皇帝のいない八月」では奇しくも渡哲也の代役が渡瀬恒彦だったとは。
役者としてのキャリアが長かったのに、映画にせよドラマにせよ共演がほとんどなかったのはどういう理由があったのか気になるところです。
まとめ
石原プロ解散危機についての記事でありながら、大きく脱線した内容となりましたが…。
仲川幸夫元常務の告発が世間を賑わせていますが、個人的見解から言わせてもらうと渡哲也は人から恨まれるような事をする人物ではないと考えています。
仲川氏の人間性に問題がなかったのかどうかを考えるべきではないでしょうか。
それと、渡哲也が石原プロを解散する考えがあるのは明白だと言います。
渡哲也の人柄から考えて、きれいな形でまとめて解散に至ると思います。
本当に石原プロ解散ということになっても、さんざん揉めてゴタゴタの末に解散、ということにはならないと信じたいです。
追記(2020.8.14)
渡哲也の訃報をYahoo!トップページで知りました。
突然の訃報で驚きました。
年代的には西部警察シリーズがもっとも印象深いですが、多くの作品で楽しませてもらい、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。