こんにちは、youheiです。
初めて観た時には、あまりのインパクトの強さにオドロキを隠せなかったな〜。
ということで、今回はこれまでの腹話術芸の常識を打ち破る新しいかたちの腹話術を確立したいっこく堂のネタをご紹介。
声を遅らせる衛星中継ネタや、腹話術によるものまね芸など斬新なネタ開発に勤しんでいる。
腹話術の革命児・いっこく堂の神ってるネタ
いっこく堂という何か変わった芸名だけど、実は「いっこく」というのはこの人の本名だったから驚きだ。
このようにWikipediaにもあるように一石と書いて「いっこく」という名前だ。
じゃあ、一石二鳥と書いて「いっこくにちょう」とも呼べるんだな(笑
たしか玉城という苗字は、沖縄に多いんじゃなかったかな。
いっこく堂のマネージャーである小久保隆也は、(当時)侍ジャパンの監督を務めた小久保裕紀氏の実弟だという。
【いっこく堂】スーパーライブ[Ikkokudo]Super-live
いっこく堂/ものまねと腹話術の融合~キセキの新ネタ
腹話術をする芸人というのは、今まで全然知らなかったけど、やはりこのネタを初めて観た時には率直に驚いたな…
声が遅れて聞こえる腹話術なんて誰が思いつくだろうか?
[新ネタ動画①]いっこく堂withTOKIO-天才お笑い芸人のモノマネ神業とは?
https://www.youtube.com/watch?v=ifK0i-2irR8
いっこく堂の両親の過酷な過去
ネットで見つけたのですが、いっこく堂の父親はサイパン島で生まれたというのです。
戦時中はサイパン島やパラオ島も旧日本軍の統治下にあったために、多くの日本人が住んでいたそうです。
米軍の攻撃から逃れるため船に乗って島から脱出したときに母親とはぐれてしまい、再会したのが一週間後でした。
何とか沖縄へ戻ってきた父親一家は米軍の攻撃から逃れるために名護市の山で一年過ごし、終戦を迎えました。
また母親も戦時中に両親に連れられて南洋群島のパラオ島へ移住したとのことです。
幼い弟を連れて防空ごうに隠れていたら、弟が泣き出しました。
すると、日本軍の兵士が「子どもの泣き声でここにいる1000人の命が危うくなるから外へ出て行ってくれないか」と言われたというのです。
そうして防空ごうから追い出された母親たちは行きて沖縄へ帰るためにジャングルへ逃げました。
その途中で幼い弟二人を失い、やがて終戦を迎えたとのことです。
偶然見つけたとはいえ、芸能人のエピソードの中ではかなり重い話でしたが、貴重な話でもあります。
テレビ画面からは普段うかがえない一面が浮き彫りになったと同時に、戦争の愚かさを再認識する機会になったと感じました。
まとめ
後半で少し重い話が出ましたが、腹話術を使った芸をする人は少ないので、これからも斬新なネタを開発して楽しませてほしいです。